日本キリスト教団大森めぐみ教会 〒146-0082東京都大田区池上1-19-35 ℡/Fax03-3754-9903
教会の沿革
     




教会の沿革
 歴史的背景
当教会の精神的源流は明治におけるプロテスタントの三大バンドの一つ、「熊本バンド」(1871-1876年:明治4〜9年)にさかのぼり、同志社大学創立者新島襄(1843-90)の陶薫を受けた日本組合教会(1989年:明治19年創設)の流れに属しております。組合教会とは宗教改革者ジャン・カルヴァンの改革の精神を受け継ぎ、会衆制度をとる教会です。直接には、1620年アメリカに上陸したピルグリム・ファザースの系譜にたつプロテスタント教会です。日本組合教会(The Congregational Church)はその後、1941年(昭和16年)に日本基督教団(The United Church of Christ in Japan)に合同して今日に至っております。日本基督教団は、約1700の教会や100法人以上のプロテスタントのキリスト教学校を関係学校とする、我が国最大のプロテスタント教派です。
 大森めぐみ教会の特徴
大森めぐみ教会は1927年(昭和2年)12月4日、故岩村清四郎牧師(1978年永眠)が現在の大田区中央7丁目、もとの新井宿6丁目に創立いたしました。その半年前にめぐみ幼稚園を創立し、戦前は「めぐみ教会」と称していました。その名前のいわれは、創立直前に岩村清四郎牧師の長男恵一が天に召されたことにあります。彼はこれを天の召しと受け取って「めぐみ教会」と称しました。戦後(1947年:昭和22年)に東大森教会と合同したので「大森めぐみ教会」と改称したのです。

 岩村清四郎牧師はさらに1939年(昭和14年)4月、めぐみ高等女学校を創立しその敷地のために現在地、池上1丁目の土地を購入していたのですが、1945年(昭和20年)5月の東京大空襲によって戦前の教会も幼稚園も女学園も焼失し、直ちに現在地、池上1丁目に移って来て今日に及んでいます。

 1956年(昭和31年)に岩村信二が二代目主任担任牧師になりましたが、親子にわたって72年間にわたって牧会を行ってきたというのは、我が国では珍しいケースです。牧師のほかに伝道師・副牧師が現在までに29名奉仕してきました。

 2000年4月より、2013年3月まで、三代目牧師と土戸清牧師が、伝道と牧会を担い、その後継として、2013年4月より、関川泰寛、関川瑞恵牧師が主任担任教師、担任教師に就任しました

 礼拝を何よりも重んじ、説教と聖餐を中心に教会形成がなされ、さらに教会学校と教会内各部各会が活発な聖書の学びと奉仕活動、および信徒の交わりを展開し、教会の歴史に新しい頁を加えています。現住陪餐教会員数は約300名です。毎週110名~150名の礼拝出席者があります。ともに讃美を歌い、聖書のみ言葉に耳を傾け、恵まれたひとときをいただき、感謝と讃美を捧げています。

 めぐみの丘

大森めぐみ教会は、大田区池上本門寺山に隣接する東南向けの丘(スロープ)の上にあり、敷地の広さは2000坪、東京都内にあって恵まれた教会敷地と環境を与えられています。常時緑に包まれ、樹齢60年の桜や泰山木、くるみの木などがいっぱい茂っています。旧礼拝堂は、1967年(昭和42年)に建てられ、スイス、アルプスの教会のような礼拝堂とわが国最初のアルザス地方のオルガン(18ストップ)が備えていました。2015年夏に、旧礼拝堂は解体され、現在新礼拝堂建設の計画が進んでいます。すでに、新礼拝堂の基本設計は終わり、設計図と立体模型も造られています。新礼拝堂は、旧礼拝堂にあったパイプ・オルガンを移設し、バルコニーの聖歌隊席を含めて、約300名が一緒に礼拝できるスペースがあります。まだ着工時期は決まりませんが、これから、すばらしい礼拝堂を祈りと力を合わせて建設する予定となっています。

旧礼拝堂当地由来: 邸内には三代将軍、徳川家光お手植えの梅(樹齢約380年)があり、五代将軍綱吉の時の昌平坂学問所の学頭木下順庵(1621-98)が隠居地として住んでおり、今でも教会の門の傍らに「木下順庵先生墓跡」という石碑が建っています。また、明治の初めに「あけぼの楼」という有名な料亭が建てられ、日露戦争の国家的勝利の祝宴が開かれたと言われています。

 めぐみ幼稚園は、教会附属幼稚園として教会の創設と同時にスタートし、私立幼稚園としては大田区最古の歴史と伝統を有し、名門幼稚園として地域社会に大きく貢献してきました(めぐみ幼稚園のホームページ参照)。現在、150名前後の園児が、恵まれた環境の中で、のびのびとキリスト教の保育の明確な理念を持つ教育を受けています。

〒146-0082東京都大田区池上1-19-35 Tel/Fax03-3754-9903